知っ得コラム
2023.10.31今必要とされる宗教家を考える⑤
お寺を建てるために、地域のお家へお悩みはないか訪問させていただいた。30代の女性がワンピースで玄関口に出てこられた。その様子と明るい笑顔に私は何もためらわず「おめでたですか?」とお尋ねした。女性は、手を口でふさぎながらクスクス笑い「違いますよ。」と一言。私は、顔一面に熱いものを感じながら「ごめんなさい。」女性は優しく「いえいえ、大丈夫ですよ。久しぶりに笑えました。」と言ってくださった。私はいてもたってもおられず名刺だけ渡しその場を立ち去った。ということを信徒(檀家)さんにお話しするとみんな大笑い。私は皆からいろいろなことを言われた。しかしながら、その出来事から何かしら信徒(檀家)さんとの距離が近づいたような感じがする。
私はできるだけ自分の失敗したことや恥ずかしかった事をお話しするようにした。すると、信徒(檀家)さんは安心するのか、人には相談できないようなことをお話するようになる。
お坊さんは、隣のお寺のお坊さんに建物(お寺)を自慢したりする。隣のお寺のお坊さんを招待し、喜んでもらうために豪華な食事を用意し、喜んでもらうために寝床を新しくしたりする。高級ホテルに宿泊させたりもする。全部信徒さんが負担しているのに、あたかも自分がやったように勘違いしている。
そして、招待した隣のお坊さんに対し失礼があると激怒する。信徒(檀家)さんを怒鳴り散らかす。失敗はゆるされないから信徒さんは何か月も前から何度も会議を開き、リハーサルをしたりして失敗がないよう準備する。それでも失敗する。そのたびにお坊さんは激怒する。さて、これが仏様の教えなのだろうか?失敗が許されないのが仏様の教えなのだろうか?
お寺が建つ前に事務所を借りて仮のお寺で過ごしているとき、朝のお勤めを済ませ、お供えした御仏飯(ごはん)とインスタントのお味噌汁で食事をしていた。一週間後、私より早く来ている男性信徒さんがいた。毎月お参りに行って相談を受けていた信徒だった。「何かお手伝いさせてください。一人じゃ大変でしょ。」と言ってお掃除やお勤めの準備を手伝ってくださり、お味噌汁まで作ってくださった。お野菜たっぷりのお味噌汁。私の涙が入ってしまいすごくしょっぱかった。ありがたかった。うれしかった。
仏教は、すばらしいと改めて思った。ありがたいと改めて思った。隣のお坊さんにお寺自慢したり、隣のお坊さんに喜んでもらうために建物を新しくするとかそんなことより、私はこの男性信徒さんの思いと仏教信を自慢したい。そんな自慢がたくさんできること自慢できる信徒さんがたくさん増える事。そうすることがお坊さんの務めではないだろうか?