知っ得コラム
2021.3.9仏教の宇宙観
悪いことが起ったり、不運なことを言ったりすると「縁起でもない。」と言います。
見知らぬ人とすれ違って「袖振り合うも多生の縁」と言います。
これから会うこともないということを予測しつつ「いつしかまたご縁がありましたら…」と言います。
縁とは、目に見えないものですが何かしらでつながっていると理解し、引き合ったり離れたりしていると考えられています。それは、自然なこととして受け入れられ、昔から当たり前のように認識されている事象です。
今生(3次元世界)の人と人にとどまらず、森羅万象すべてのものの間にはこの縁というものが存在していると信じています。また、3次元世界にとどまらず亡くなった魂との縁もつながっていると認識されています。だからこそお墓に手を合わせ、ご先祖様へ感謝したり敬ったりもするのです。
そして、3次元世界とは別の異次元世界ともつながっていると理解するが故に、諸天善神、諸仏諸菩薩ともつながっていると信じることができるのです。神様に十字架をきったり、数珠を鳴らし手を合わせたり、玉串をお供えしたり、その事行は目に見えない何かしらに観られていると感じるからこそできる事行だといえましょう。仏教でいうところのすべての世界とは、言葉では「三千大千世界」と言われます。須弥山を中心に東西南北に四大洲があり、その南を閻浮提と言い人類が住む場所(3次元世界)と説かれています。さらにその周りには九山八海があり、総じて一つの須弥山世界(太陽系?)とされています。この一つの須弥山世界を1000世界集めて小千世界(銀河系?)と言い、小千世界を1000世界で中千世界(宇宙?)と言い、中千世界を1000世界で大千世界(全宇宙?)と言います。そして、大千世界は、大・中・小、三つの大きさの世界(異次元世界?)があるので「三千大千世界」と説かれるのです。そして「縁起」は、この「三千大千世界」を行き来し、つなげているのです。今の物理学では、重力はすべての次元を行き来できると実証されつつありますが、縁起はまさに重力のようなものと言えるのかもしれません。
釈迦牟尼仏は、地球でこの縁起を悟り衆生に弘めた、ただ一人の聖人です。世の人に縁起を感じさせ、悟らせながら人生の新たな価値観を教え、すべてとつながる縁起を大切に精進させ、心を清浄し肉体から離れるときには、成仏という高次元世界へ生まれ変わらせる、という素晴らしい教えを詠ったのです。
縁起を悟り生きていくことこそすべての次元とつながっていると理解することになるのかもしれません。ありがたい。すばらしい。