知っ得コラム
2025.3.3今必要とされる宗教家を考える⑦「娑婆即寂光」
娑婆とは、今この世界のこと。寂光とは、仏様の世界のこと。つまり、娑婆とは物質世界、寂光とは精神世界のことを言います。お経文に、「娑婆即寂光」とありますのは、物質世界は即ち精神世界である。ということであり、物質世界は即刻精神世界である。と説かれるのです。
あなたは、気の合う人と食事をしながらとても話がはずみ、時間を忘れるくらい友人と楽しんでいるとします。そこに偶然、日ごろから苦手にしている人がやってきて、同席になり話に加わってきたとします。今まで楽しかった食事とお話の時間は一気に変化し、あなたは「せっかく楽しかったのに」と心で思いながら気分は悪くなり、「早く帰りたいなあ」というような気持ちになるかもしれません。しばらくして、そこにもう一人知り合いが来て仲間に加わります。その知人は話を聞くばかりで、何かを話すわけではありません。しかし、「早く帰りたい」というあなたの気持ちは変化し、何かしらなごんでゆきます。なぜでしょう。
人とのお付き合いで、気が合う人と合わない人ははっきりしていますが、最後に来た知人のように何かしら人を和ませるといいますか、一緒にいると落ち着くといいますか、今まで揺らいでいた心(怒り、悲しみ、憎しみなどの辛い心)に静寂心をもたらしてくれる人がまれにいらっしゃいます。
いずれにせよ、我々は物質の世界で生活しているのですが、そこには多くの精神的な影響を受けながら、あるいは及ぼしながら生活をしているのです。学校、会社、家庭などあなたのあらゆる環境、家族、友人、学校の先生、生徒、会社の仲間などあなたとかかわる一切の人々、あなたはそれぞれのかかわりにおいて影響され影響しているのです。
つまり、物質世界で生活しているにもかかわらず、精神世界の影響を大きく受けていることが分かります。このことを仏様は娑婆即寂光と表現されているのです。
もしもあなたが、最後に来た知人のように、他の人にいい影響を及ぼすことのできる人であったとしたらどうでしょうか?そのような人になれたとしたらどうでしょうか?
もしそうであれば、あなたの影響力はあなた自身のよりよい生活環境と人とのより良い関係につながっていくにちがいありません。
佛教は、最後に来た人のような精神力の持ち主になるためにはどうすればいいのかを説く教えでもあります。単純には、経を唱える。ということになるのですが、次回はそのことについて詳しくお話しさせていただきます。
すばらしい。ありがたい。^^